OBからのメール
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OBのみなさまへ

 

 現住所:251−0027 藤沢市鵠沼桜が岡4−15−33
 電 話:0466−25−5099  FAX:0466−25−9438
 E-Mail:kurobe56@mud.biglobe.ne.jp

 宛 名:渡部 瞭(わたなべ・りょう) ペンネーム:黒部五郎

1960卒業の竹内広弥君から アルバムはこちら
昨日、柴田さん、松原、荻野と4人で丹沢・早戸川へ行きました。雷平、早戸・大滝、丹沢三峰を経て出発点の丹沢観光センター(閉鎖)へ戻りました。
8時40分に歩き始め、16時に下山。静かな秋の一日を楽しみました。松原とは何十年かの山歩きです。
1971卒業の角本君から
大変ご無沙汰しております。 KSBG昭和46年卒の角本(カドモト)です。
二年ほど前から先輩のHPを拝見しておりましていつかご挨拶をせねばと思っておりながら諸事にかまけて遅くなっておりました。
43年入部の同期は記録的に多く13名(うち女性2名)でした。
三年に斉藤騎士CL、一年先輩に南條、杉田、中野、植月先輩、小林さん柴田さんの女性の先輩もいました。
当時菅間OBや竹内さんには大変かわいがっていただき現役時にカドー(藤沢の茶店)のOB会にも数度出させていただきました。
卒業後も学生時代、社会人になっても新年会などお声掛けをいただき出させてもらっていました。その後自分らの生活に追われ余裕が無く、長らく顔出しもいたしませんでした不義理をお詫びいたします。
ここで今日まで35年付き合っている同期と25年前に建てた山小屋について記載します。
現役時にさして結束の良くはなかった同期も卒業後は大学時、社会人になっても山行、スキー行を継続しておりました。
そろそろ昭和も52年になろうという年末、同期の小林幹雄が突然当家を訪ね息せいて提案したのです。『僕らの付き合いもS43年の高校入学KSBG入部以来10年になる。何か記念碑的な行動をとろうよ。』と。
長兄が会社の山仲間と、姉が大学のクラブ員OBと夫々山小屋を作り持っていた僕は一も二も無く『山小屋を作るしかない。』と提案したのでした。
社会人になったばかりの私たちにとって壮大な計画でしたので誰もが同意したわけではありません。結局11人中7人が賛同し計画はスタートしました。
当時(今も)ゲレンデ整雪車を扱う会社に勤めていた私は地理に詳しく土地購入本部長の役を預かりました。山のベースになりスキーもできる立地で個人的好みもあって白馬を選びました。これはその後も皆『良い選択だった。』と納得してくれています。
その後、スムースに行かない物件の転売、道路不備でおりない建築確認など資金以外にも難問は多かったのですが二年後の昭和53年暮れに会員一名あたり110万円の出費で小屋はできました。
その後一名を残し皆所帯を持ちました。数名はこの山小屋を介在した人の関係でつれあいを見つけました。かく言う私もそのくちです。
場所は白馬村大字北城字落倉原で積雪期は栂池スキー場にスキーを履いて行き来できます。
森林内の木造家屋ですので傷みが激しく10年ほど前にした再ペイントも乾いてしまいキツツキの穴もたくさんできました。
本年8月と9月の連休を二回使って補修を完了しました。
昭和54年正月と本年9月の画像を添付いたします。
家屋のみならずメンバーも古びてきています。
諸先輩がたによろしくお伝えください。では
1992卒業の池田 一君から
 はじめまして。92年卒業の池田と申します。高橋君の同期です。
今は茅ヶ崎に住んでおり,メーカーで開発の仕事をしています。
 山スキーの情報を探している途中,Googleからこのページに辿り着きました。懐かしい名前が沢山あり,嬉しくなってしまいました。情報を集めておられるとのことですので,自分の知っている範囲で協力させて下さい。
 同期について補足しますと,女子3名は,月村・佐藤・川村の3名です。男子として藤本君もいました。山行については,大体は覚えているのですが,1〜2年前後してしまう可能性があるので,記録が出てくるまで控えたいと思います。
 合宿以外では,奥秩父甲武信岳のインターハイ予選に出て負けたり,2月の蓼科山で行われた高体連の春山講習会に参加したりしております。
 顧問の先生は,確か90年までは武藤先生がいらしたはずです(一緒に赤岳に登ったような…)。それと,渡辺先生,篠田先生,福島先生,生月先生,小田先生が90年で,二河先生は多分91年からだと思います。海外留学した生月先生はその後どうなったか心配していたのですが,八幡君情報ありがとう。小田先生は顧問になってすぐ山岳カメラマンを目指して退職されたように記憶しています(間違っているかもしれません)。
 中村先輩には,何年か前に赤石岳の稜線辺りで偶然お会いしました。岩下君や板垣君とも山ですれ違ったことがあります。同期は連絡が途切れている状態で,残念ながら長いこと会っていません。
 以上,少し記憶が怪しい箇所もありますので,まともな記録が見付かり次第,訂正の連絡を入れるように致します。
1992卒業の高橋邦典君から
突然のメールにて失礼いたします。
私は高橋邦典(たかはしくにのり)と申します。
実は県立鎌倉高校を89年に入学し、92年に卒業しました。
それでもって、高校3年間はスキー山岳部に所属しておりました。
同期は白崎君が部長で、池田君、福士君、幸君らと女子3名、私を含めて9名ほどで活動しておりました。
在籍中、私は病気にかかったこともあり、同期とはさほど親しくもなかったので、卒業後はまったく連絡が途絶えております。
また在学中はスキーは全くせず、登山中心の活動で、上記の仲間と槍ヶ岳や八ヶ岳(赤岳)、飯豊山に登ったことが懐かしく思われます。
最近パソコンを購入し、ヤフーの検索でこのサイトを知りました。
上記の仲間や先輩後輩に会えたらと思いたち、メールを送付致しました。
もしよろしければいろいろと情報を知りえたらと思います。
また定期的にサイトに立ち寄りますので、よろしくお願いします。
 you can't always get what you want...
Kuninori Takahashi
1960卒業の竹内広弥君から
結構OBのメールが来ているのですね。
小生関係での、その後のOBとの山行は;
2002(H14)
1.5 大山川(柴田)
3.18-20 西穂高(新穂高・西穂山荘前・独標往復、菅間)
5.3-5 御座山・四方原山・茂来山・荒船山(柴田)
5.22-23 甲斐駒岳(黒戸尾根より頂上往復、菅間)
月1〜2回の割りで歩いていますが、単独行が多くなっています。
1974卒業の田中君から
 はじめまして 鎌高スキー山岳部OB S49(1974)卒業の田中と言います。ひょんなことからこのHPに辿り着きました。(「鎌高」で検索したらトップに出ました) 在校してた時からもう30年近く経つのについ最近の様に感じられます。 さて 75,76年の部員名簿が空欄になっていましたので記憶を頼りに記載します。 75年:金子、古川、押見、大石、渡の5人が最後まで居たと思います。 76年:五味、青木、土居、熊本、大林(女)あと1〜2人居た様な気がしますが? ごあいさつにある藤沢の画廊喫茶には現役のころ何回かおじゃました記憶がありますのでもしかしたら1度くらいはお会いしたことがあったかもしれませんが、OBの方で記憶のあるのは菅間さんと漆原さん位です。 これからはちょくちょく覗いて見ます、何かまた情報があればご連絡致します。 ちなみに当方未だホームレスです。ホーム立ち上げようと言う意志はあるのですがなかなか出来ません、開設の折りにはリンク張らせて貰います。       それではまた                        from Akira Tanaka
現役部員の富田 祐輔君から
現在、鎌倉高校1年でスキー山岳部・硬式テニス部の富田 祐輔です。インターネットで鎌倉高校をいろいろと検索していましたところ、偶然、鎌高スキー山岳部OBのHPを見つけて、現役ながらメールを送らせてもらいました。現在、スキー山岳部は僕ら1年は僕を含め4人(男2、女2)います。顧問は、僕の担任の内堀先生と、太田先生と本柳先生の3人です。7月8.9日に丹沢に行く予定です。 僕はHPを持っていませんが、y.tomita@fujisawacity.ne.jpが僕のメールアドレスです。今後もちょくちょく、このHPに顔を出したいと思います。よろしく、お願いします。
元顧問のSさんから(前略) 1983年 OB、OGは、浅場、伊藤、小島、宰田、田中、露木、藤木、宮内、室谷、矢野、山田、顧問は、福島、武藤、渡辺、鈴木、篠田5月、県大会丹沢、6月、鍋割山、7月、南アルプス、仙丈岳、 1984年 OB、0Gは、市川、荻山、井上健次郎、井上みち、兎本、加藤淳一、加藤知子、鈴木、高砂、新井田、武藤顧問は、武藤、渡辺、鈴木、篠田山行記録もうすでにHPのほうに載っていましたね。 (83年は春も秋ももっと行っているはずなのですが自分が引率しなかったのか、はっきりとした記録が残っていませんでした。ごめんなさい。) ゆびとまに登録したおかげで鎌高山岳部OBたちとの交流が最近復活しました。会社帰りに展覧会に寄ってくれたり、勤め先を教えてくれたり。たしか95年くらい卒業の林美幸さん、横浜のカモシカスポーツの社員になったそうです。現在も山岳会に入っているそうですが、横浜近辺で良い会がないか探しているそうです。どこかおススメの会、ご存知ありませんか?(後略)
こんにちは、はじめまして。 元顧問のSです。 HP拝見させていただきました。 鎌高時代の81年から94年までの山行計画書と写真、卒業アルバム等々は、ダンボール 箱に詰めて転勤のときちゃんとこちらに持ってきてありますのでこれから少しづつお 知らせしていきますね。 1回、1、2年づつぐらいでよろしいかしら・・・
81年のOBは、大沢一之、太田尚、関根康晴、市川敦子、寺澤恭子。フルネームでなくてもいいですか?顧問は私のほかにF先生 合宿名簿から調べたので男子部員ははもしかしたらもう少しいたかもしれません。
82年のOBは、市岡、石沢、飯田、河口、内田、君嶋、佐和橋、竹内、清水顧問は福島、矢野、篠田 82年山行は、4月新人歓迎西丹沢、5月県大会西丹沢、6月夏山訓練不老山、夏山合宿は7月男女とも奥穂高、蝶、9月、丹沢大山、10月関東大会出場(女子)尾瀬、11月大菩薩峠 ・・・・・・・
81年、82年でわかったところはこのくらいです。
初めての合宿引率の餓鬼岳で事故ってしまいました。ほんとにあの時は焦ったけど、100メートルくらい滑落して捻挫だけですんだのは不幸中の幸い。(信濃毎日に載ってしまいましたが)そのときの部員が清水君、彼からも先日YUBITOMAを通じてメールが届きました。自分の母校にこの間登録したのですがぜんぜん知ってる人に出会わず、つい、ふらふらと鎌高のページに登録してしまいました。13年もいるとなると次から次と(といっても数名ですが)山岳部員からのメールが届いて、なつかしくなって卒業アルバムと山の写真と山行記録をひっくり返している毎日でした。
それでは今日のところはこの辺で。
はじめまして私は鎌倉高校スキー山岳部の第53代目部長です(1996年入部)正直,このホームページを見つけたときは驚きでした現在は2年生である55代目ががんばっていると思います自分が伝えられることがありましたらできる限りお伝えしようと思います岡島 聡
自分が入部していたころの話をしたいと思います 1996年 入部当時52代目である2年生が部を引っ張っていました。そこに入ったのは自分を含め3名の男子(岡島,平山,土田)と1名の女子(加藤)でした。しかし女子が1名のため実際加藤は活動に参加せず,また夏合宿後1名が(土田)退部し,53代目は2名という部存続の危機にさらされました。時には2年目が全員冬期講習で来れず顧問2名,1年2名で箱根の明神ヶ岳や丹沢にのぼりに行くときがありました。 1997年 危機脱出そこで53代目両名は必死の新歓活動を試みます。(豚汁を作って仮部に来た人に配るなど)その結果1年女子2名の獲得に成功。また当時自分たちの悪友であった2年目西村を帰宅部から抜擢し,はたまた2年目女子加藤の復活によりここに新生鎌高スキー山岳部が誕生します。またこの功績により岡島は「鎌高スキー山岳部中興の祖」として称えられることになります。男子3名女子3名顧問3名のメンバーがそろい部の活動は安定します。5月に行われた関東大会予選では入賞を逃したものの7位と健闘。夏合宿や月一回の山行も行われました。近年心配されていた団体食の質の低下も新戦力,西村や女子3名のため向上しました。第二の活動であるスキー合宿も成功を収めます。またこのころから海岸を走る「浜ラン」というトレーニングも定着します。 1998年 安定?この年も新歓活動は成功を収めます。2年目女子両名の活躍により1年生男子4名を獲得します。しかし女子が出れず人数の不足により夏合宿は中止に追いこまれそうになりました。ここで立ち上がったのは卒部する予定だった3年目岡島,平山の両名でした。夏季講習の合間をぬっての参加により中止を逃れます。(しかしこの年の夏合宿ではこの2人が数々の伝説を残すことになります)・・・その後,3年生無しでも立派に山行を行っているようです・・・ その後・現在53代目男子2名(平山,西村)は浪人中,がんばれ・56代目は男子2名入部で全部員男子6名・現在部長は本田君(55代目)・顧問の一人内堀氏は去年ご結婚されました,おめでとうございます 以上,へたな文章ですが自分の入部していたときの情報です質問や何かありましたら,メールをください
はじめまして。79年卒業の衞藤と申します。 あなたのページを見つけて拝見していたところ、些細なことでも情報を探していらっしゃるようでしたので、お知らせいたします。重複していたらごめんなさい。 79年卒業の二人とは割と親しくしていました。特に香椎正純にはかなりの影響を受けました。彼はその後学習院大学哲学科に進みましたが、81年の夏にヒマラヤで遭難し、亡くなりました。その頃は山には興味が無かったので、具体的な場所の記憶は残っていません。葬儀のも参列いたしましたが、彼のご両親の悲しんでいる姿はいまだに忘れられません。 そんなわたしも今では山に興味を持つようになり、"藤沢山の会"に所属して、月に1,2度登っています(低山ばかりですが)。登るたびに香椎のことを思い出しながら....
>竹内広弥山行記録 > >単独若しくはKSBG関係者との山行のみ。日時に不備がありますが送ります。 以下略
はじめまして。93年卒業の八幡と申します。90年4月入学〜93年3月卒業の同期についての情報です。この組の同期は少なく合計で男6人でした。現在も正月には顔を合わせるようにしています。社会人2〜3年目のものが多いですが、まだ鎌高生らしく学生のヤツも2人ほど残っています。 八幡 耕一(部長)石川 周平(副部長)長田 篤板垣 浩司岩下 理人青木 崇司 それから私たちが1〜2年のときに顧問をしていて、途中大学院へ留学するため退職した生月 亘(いけづき・わたる)先生ですが、つい1週間ほど前に最新の消息?がつかめたのでお知らせします。先生は現在、関西外語大短大講師をされています。 NHKラジオ「やさしいビジネス英語」テキストに「スナップショットで見るUSA」というタイトルで連載もしています。ぜひご覧になってみてください。
はじめまして。90年卒業の鎌高山岳部OGの中村祐子と申します。鎌高の掲示板で先輩のホームページの存在を知り、僅かではありますが、87年〜88年の記録をお送り致します。*添付ファイル(Excelにタブ区切りで貼り付ければ見られると思うのですが。) 先輩方の輝かしい記録とは異なり、至ってのんびり、いい加減な山岳部だったので、呆れられるかもしれませんが…。でも私にとって大変思い出深い山岳部であった事は間違いありません。卒業してからの交流と言っても同期と上の代は割と密なのですが、それ以外はちっとも知らないものですから、その点はご勘弁ください。つい2週間前に私の同期の伊澤幹子さんがガンで亡くなり、みんなと会ったばかりです。鎌高がつい懐かしくなっていた所でしたので、偶然見つける事が出来たのです。 このなかで山を続けているのは僅かです。橋口徹さんは信大の山岳部でご活躍されていました。(今は環境アセスのお仕事で飛びまわっていらっしゃいます。)本田直人さんも大学では山に登っていたものの、いまは朝日新聞の記者としてお忙しい毎日です)私は大学ではサークルで5年間山に登りまくっていました。(といっても無雪期です)しかも山好きが高じて山小屋(北アルプス・双六小屋など)で4年もバイトしてしまい、今は山と渓谷社の『ヤマケイJOY』編集部と言う所でバイトをしています。顧問の先生方も今回連絡を取ろうと試みましたが、やはりこれまでの不精がたたってどなたも連絡が取れませんでした。私を含めまわりは不精者が多いので、中々情報も集まりにくい事かと思いますが、私の分かる範囲でしたらご協力できるかと思いますので、何なりとおっしゃってください。では年末のお忙しい所にお邪魔致しました。宜しくお願い致します。 ---------------------- なかむら ゆうこ
初めまして、私昭和58年卒業・鎌倉高校スキー山岳部OB清水と申します。「ゆびとま」に登録し、大先輩のページを発見いたしました。突然のメールをお許し頂きたく存じます。 私は昭和55年(1980)に入学し、山岳部に籍を置きました。大学時代は個人的に夏山を中心に行っておりましたが、恥ずかしながら、現在は「山」から遠ざかっております。 1980夏山合宿は南アルプス白根三山縦走 1981夏山合宿は餓鬼岳〜燕岳で中止! 1982夏山合宿は北アルプス(奥穂高岳・蝶ヶ岳) とりあえず以上はわかります。 1981 私の不注意により「事故」を起こし中止にしてしまうという汚点を残しております。もし、昭和56年〜60年卒業のOBのメールアドレス等おわかりになりましたら、お教えいただければ幸いです。 取り急ぎご一報まで。
今日は。昭和62年卒山岳部出身の佐藤と申します。このたび、仮設ながら鎌高山岳部のページを 1984年度〜1986年度の活動を中心に作ってみました。初めはメールで送ろうと思ったのですが後々画像などを貼りたいと思ったので自分のHPの下に「鎌高スキー山岳部のページ(別館)」として作ってしまいました。また、勝手に「別館」と名乗ってしまいましたが事後承諾という形ですが、ご了承いただきたくお願いいたしますまた、本ページに勝手にリンクを貼ってしまいました事もあわせてご了承いただきたくお願いいたします。取り急ぎ、ご了承のお願いをと思いメールいたしました。なにとぞ宜しくお願いいたします。また、本文にも書きましたがまだ仮設の状態でこれからどんどん画像などを充実させていきたいと思っております今後とも宜しくお願いいたします。
昭和52年に入学し、スキー山岳部へ入部しました金井です。はじめまして。偶然スキー山岳部のHPを見つけました。いやー懐かしいですね。とりあえず記憶を辿ってみますと、 昭和52年 新勧山行:丹沢の畦ヶ丸        訓練山行:2週にわたる雨で中止(予定では三の塔尾根)        夏山山行:北アルプス:裏銀座(でもハプニング発生)        秋の山行:乾徳山から??へ 2年の時には部長を務めました。いろんなエピソードがありすぎて一度では書ききれないので、またあらためてメール送ります。
暑い毎日。先週の木曜の晩から金曜日にかけてガマさんと八ケ岳に出かけました。阿弥陀岳南稜と天狗岳/根石岳のコルに突き上げる澤登りをして、唐沢鉱泉でのんびり湯につかっていました。柴田さんは大学の仲間と北鎌尾根に出かけているとのこと。ゆっくり話を聞かせてください。 竹内広弥
 はじめまして。鎌倉高校山岳部OBの本田直人@1989卒と申します。 パソコンをいじりはじめたばかりで、ホームページを検索していたところ、なんと専用のページを発見してしまい、うれしくなってメールを書いてみました。 わたしは2年生の時から山岳部(当時はスキーはほとんどやらなかった)に入部して、高校生のくせに先生に内緒で穂高縦走を断行して遭難すれすれの目に遭ったり、急性アルコール中毒をくり返したり、山岳部専用のジャージやシャツを作ったりと、楽しく過ごしました。 大学時代もたまに北海道の日高を縦走したり、上越や北、南に通っていました。 今は新聞記者になって、愛知県の豊橋市で働いていますが、去年の春までは飛騨の高山支局にいた関係で、暇を見つけては黒部五郎やら双六やら笠やら焼岳やらに通っていました。 現地の山岳会のユーレイ会員にも名を連ねています。 北アルプスを貫く安房(あぼう)トンネルが開通したおかげで、東京から新穂高まではバスで5時間弱、運賃も6000円ほどで飛騨側までたどり着けます。 今の時期だと、クロカンスキーで上高地あたりを駆けるのが楽しいかと思います。 山岳部のOBのみなさんの消息も知りたいと思っています。 また、いろいろ知っておられたら教えてください。
 初めまして。 鎌高スキー山岳部のHPがあることを初めて知りました。 私は64年に入学と同時に入部したものの、膝の関節炎などから2年の夏前に退部したものです。 後を担った吉田部長が同級生です。 彼は千葉方面で仕事をしていると聞きました。 ご参考まで。森野美徳
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